平成31年 元旦禊
2019/01/01
- 行事・出来事
平成31年1月1日午前八時元旦、雄山神社前立社壇神職及び皇學館大学神職資格取得実習学生で禊を行いました。
寒い中にも太陽のあたたかさ、ぬくもりをを感じつつ、雄山大神様にお仕え申し上げ、大神様と氏子崇敬者の皆様方とをつなぐ仲取り持ちとして、
年の初めに禊を行い、1年間、立山の清らかな白雪の如く、浄明正直の気持ちを持って御奉仕申し上げる所存であります。
禊と祓の意義について
禊と祓は一連の行為・観念から“禊祓”と称され混同されることもありますが、本来は厳密にいうと別であります。祓には様々な儀礼や作法が存在しますが、修祓・参籠・潔斎・祈祷・大祓式・どんと祭(松明祭・左義長)において浄火を受けることによる「祓」等があります。これら全ての行為は共通して、罪穢を取り払い清浄な状態に戻す儀礼及び作法である為、これが“禊祓”と混同される所以であり、禊の起源は記紀神話において、伊邪那岐命が黄泉国より戻り斎行したとされ、禊とは身についた凶事や罪穢を滌除し清める作法のことであり、祓とは心身についた罪穢を儀礼や唱言等により取り払い清浄にすることという、それぞれ辞書的な意味を持っています。
禊とは、新たな霊魂を迎え入れる目的があるとされる説があります。そして、手水で清めることも簡略化された禊の一種とされており、「身に付いた穢れを滌除し削ぎ落とす」ので「身を削ぐ、身削ぎ」より「禊」となったとの説もあります。そして、祓とは神前で幣帛(大麻等)によって行うものはその象徴的行為であり、神事に際して心身共に清浄にする祓を吉事祓(よごとはらい)といい、除災の為に行う祓を凶事祓(まがごとはらい)と区別する事もあります。
そもそも罪とは規範や秩序を犯し、危険且つ不浄な反社会的人的行為を指し、穢とは自然発生的現象により汚濁が心身に憑き、個人のみならず社会的にも災いをもたらす悪しき状態に陥ることであります。禊の作法の一つに振霊又は霊鎮・霊振と称する行為がありますが、この行為は罪穢により悪しき状態に陥り、衰弱した魂を唱言や身体の振動によって励起させる作法であり、“息吹”の作法にて新たな霊魂を体内に迎え入れる際に、罪穢によって汚濁し衰弱した心身の状態を元の状態に調え「気枯れ」を取り除き、霊魂を迎え入れやすくする行為であります。この「気枯れ」とは“穢”の語源との説ですが、“気”は人間の生命力を表します。つまり気が枯れ、生命力が枯れることは死を意味する為、魂を励起させ新たな霊魂を取り入れる、禊の必要性・意義がここで論証されます。 神職とは神に仕える身にある故、常に斎き、明浄正直の赤心を持ち、物忌に努めなければなりません。その為、特に祭祀には「浄」を尊ばなければなりません。神道は禊と祓の作法並びに儀礼を特に重んじ古より受け継がれ今日に至っています。